「省みて、備える」
復活節第6主日礼拝

ペトロの手紙一 1章10-16節
私たちの信仰生活は、“待ち望む生活”であると言うことができる。何を待ち望むのかと言えば、13節に書かれているように、「イエス・キリストが現れるときに与えられる恵み」を待ち望むのである。
そして、待ち望む生活というのは、その時が来るのを意識して、一種の緊張感を持ちながら過ごす生活をいうのである。
キリストを待ち望む生活とは、キリストを迎えるために備える生活である。
そして、備える生活とは、「いつでも心を引き締め、身を慎んで」生活すること、また15節以下の内容から言えば、「聖なる者」として生活するということをいう。
いつでも心を引き締め、身を慎んで、聖なる生活をする。そう言われると難しいことを求められているように感じる。
私たち一人ひとりは弱く、罪深い存在である。
しかし、そんな私たちのためにイエス様が命を差し出し、罪の贖いをしてくださった。そのイエス様の愛と赦しを身に帯び、イエス・キリストの再臨を待ち望むのである。
しかし、私たちは、「キリストの再臨」や「終わりの時」をリアルに感じることは難しい。私たちにとってリアルなのは、自分自身の“命の終わりの時”ではないだろうか。
死によって私たちは再び、霊であるキリストと出会う。そして、天国に迎え入れられる。そう考え、信じる方がリアルなのである。
人が地上での終わりを意識すると、生き方、終わり方を考え直す。
待ち望む生活は、備える生活である。終わりの時に備え、死に備え、キリストとの再会に備え、天に備える生活である。
自分を省みて、信仰が確かなものになっているか、希望を抱いているか、愛をもって人と関わっているか、自分の生活を改めて見直し、備えていきましょう。
牧師 三浦 啓


