「聖霊を注がれて」ペンテコステ礼拝

聖霊降臨節第1主日礼拝

讃美歌 342「神の霊よ、今くだり」
聖餐式
讃美歌 78「わが主よ、ここに集い」

ルカによる福音書 19章45-48節

今日の聖書箇所の直前でイエス様がエルサレムに入城した。それは、過ぎ越しの祭りの時であった。
エルサレム神殿の前には、神様に献げる動物を売る店や、外国の貨幣を両替する店が立ち並んでいた。45節に「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めた」とある。

他の福音書では、商売をしている人々の机や椅子をひっくり返し、両替の金をまき散らし、縄で鞭をつくって売られている羊や牛を境内から追い出したと記されている。
イエス様は何に対して問題を感じたのか。
両替や動物売買は礼拝のために必要なことと正当化し、その陰で私腹を肥やし、自分の欲望を満たしている者たちがいた。その実態にイエス様は偽善を感じたのである。

イエス様が願ったもの、それは祈りの家であった。
教会が祈りの家となるには、何が大切なのだろうか。神の御心が何であるかを考え、自分たちの罪に気づき、自分中心な願望や主張、都合をしりぞける。
そのような打ち砕かれ、悔いる心こそが、礼拝を本当の礼拝とする。祈りの家を本物の祈りの家とするのである。

今日はペンテコステ礼拝を守っている。
聖霊は神様の言葉を通して私たちに働きかける。神様の言葉を聞き、神様の御心を受け止めるとき、私たちは赦され、愛されている喜びと感謝を感じ、自分の罪に気づいて悔い改めへと導かれる。
時に私たちは自己中心になり、自分の欲望や都合を優先させていることになかなか気づかない。
だからこそ、絶えずイエス様の言葉を、自分自身への直接の語りかけとして聞くことができるように、聖霊を注がれながら、心を開く歩みを進めたい。

礼拝はもちろん、日常生活の中で私たちに注がれる聖霊をさまざまな場面で受け止めていきましょう。

牧師 三浦 啓