「霊的な家づくり」

聖霊降臨節第4主日礼拝

讃美歌 531「主イェスこそわが望み」

ペトロの手紙一 2章1-10節

イエス様の降誕物語で、占星術の学者たちが星に導かれ、生まれたばかりのイエス様を探し当て、礼拝し、贈り物を献げた。
救い主である乳飲み子に宝を献げた学者たちは、ヘロデ王のもとには戻らず、「別の道を通って」帰って行ったと記されている。

私は、別の道を通って行くこの学者たちの姿こそ、「生まれたばかりの乳飲み子」と言われるクリスチャンの姿だと思っている。
来た道とは、今までとは違う、別の道を通って生きていくのだ。乳飲み子であるキリストを、自分の王座を脅かすライバルとして殺そうとしたヘロデ王とは、今日の聖書の言葉を借りて言えば、まさに「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口」の象徴と言える。

ヘロデ王のもとに戻らないということは、単に地理的な意味ではなく、まさに人の道、人の生き方として、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口を「捨て去る」ということだ。
それらを捨て去って、イエス・キリストが象徴するものを目指して生きていくということだ。
それは、ガラテヤの信徒への手紙5章22節に書かれているように、「愛‥‥、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」である。
「生まれたばかりの乳飲み子」であるクリスチャンは、これら“キリストの心”とも言うべきものを目指して、新たに歩み始めるのだ。

私たちクリスチャンが成長し、救われるようになるために、必要不可欠なものがもう一つある。
それは“教会”だ。教会とは、既成の場所ではなく、教会につながる皆で造り上げていく場所である。教会は霊的な家と呼ばれることがある。
私たち教会に繋がる信徒が建物の材料の石に譬えられており、イエス様は「隅の親石」に譬えられている。皆で霊的な家(教会)をつくっていきましょう。    

牧師 三浦 啓