「分かち合う生活 -Life of Sharing-」

聖霊降臨節第5主日礼拝

讃美歌 419「さあ、共に生きよう」

ヨハネによる福音書 12章24-25節

今日は「分かち合う生活」と題してお話したい。
「所有」という感覚がある。自分の服は、自分が所有している物である。他人が所有している物を勝手に使えば、それは盗みになる。
では、「時間」はどうだろうか? 働く時間に応じて賃金が支払われる。

以前、働いていた時、時間を差し出せば、対価として賃金が支払われていた。しかし、アジア学院で働き始め、「所有」の感覚が覆された。
アジア学院では、自分たちで食べる物を生産し、皆で生きている。アジア学院では、悲しい時間、楽しい時間などを分かち合う。そこに対価というものはない。

アジア学院に行き、私は“時間という財布”を使うことができなくなった。そのような中で、忙しくなると、「時間が盗まれた」、「これは自分の仕事なのか?」と思うことが増えた。
そのような思いを抱え、苦しくなっている時、自分はアジア学院と自分の時間を取引しているような感覚を覚えた。
本来は、アジア学院が大切にしている“共に生きる”を支えたいという思いからそこで働いていたはずなのに。
それは「自分の利益にならなければ損」という感覚だったのだろう。

今日の聖書箇所の「自分の命を愛する」に使われている命とは、プシュケーというギリシア語が使われている。この命とは生物のことで、「自分の身(命)を守る」という意味がある。
一方、「自分の命をいただくもの」とは、同じプシュケーという単語が使われているが、「生き生きと生きる」という意味が込められている。
自分が所有していると思っている物すべてが神様によって造られた物である。
それを良く使い、分かち合いたい。愛から生じた分かち合いは、愛を生む。分かち合いつつ、隣人と生かされていきましょう。

アジア学院より 江村 悠子さん