「祝福を与える側に立つ」

聖霊降臨節第9主日礼拝

讃美歌 493「いつくしみ深い」

ペトロの手紙一 3章10-12節

なぜクリスチャンは悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、祝福を祈らなければならないのか、ペトロは「祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」と述べている。これを四つの意味に捉えることができる。

一つ目は、私たちは祝福を受け継ぐように召されているということだ。
苦境の中でも、神様が私たちを守り、助け、私たちを、祝福を受け継ぐために召してくださる。
私たちがすべきことは悪や侮辱に報いることではなく、相手のために祝福を祈ることなのだ。

二つ目は、悪や侮辱に報いず、祝福を祈ることによって、その祝福が倍になって返ってくるという解釈だ。
悪に対する報復は何も生み出さない。祝福を祈るとき、その祝福は悪を行う者に注がれ、それが自分自身への祝福となって跳ね返ってくるのだ。

三つ目は、私たちには祝福するという使命が与えられているということだ。
聖書には、何のために私たちを召してくださったのかはっきりと書いている。それは「祝福を受け継ぐため」、「祝福を祈るため」だ。

四つ目は、すべてを神様にゆだねる、ということである。
私たちの人生においても、失望と屈辱を味わう時がある。しかし、それでも、悪や侮辱に報いないのは、神様が私を守ってくだるという確信があるからだ。
私たちは神様に深く愛されている。また、地上で私たちに“周りにいる人の祝福を祈る”という使命を与えておられる。

神様が私たち一人ひとりに目を留め、私たちを祝福してくださることを実感し、そしてその祝福を自分だけのものではなく、隣人にも分け与えるような働きを担っていきましょう。  

牧師 三浦 啓