「変えられるもの」収穫感謝礼拝

降誕前第5主日礼拝

讃美歌490「かみさまに感謝」

ヨハネによる福音書2章1-12節

今日の聖書箇所は、ガリラヤのカナで行われた婚礼が舞台となっている。その席に、イエス様と弟子たちも招かれていた。
その婚礼の席でブドウ酒が足りなくなってしまった。母マリアは、息子イエスに「何とかならない?」という求めの言葉を投げかけた。
それに対し、イエス様は「婦人よ、わたしとどんなかかありがあるのですか。わたしの時はまだ来ていません」と冷たい返答をしている。

これは、マリアが願い求めているよりも、もっとすばらしいことをイエス様がなさろうとしているのだ、と榎本保郎先生は言っている。
榎本先生は自署の『新約聖書一日一章』の中で、「祈りが聞かれないことも大いに喜ぶべきである」と記している。
祈りが聞かれない、願っていることが叶えられないことを“喜ぶ”というのは、なかなかできることではない。
神様を信じ、イエス様の御言葉を信じる。その信仰が、母マリアの「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」という言葉に表れている。

イエス様は、母マリアが願い求めている以上のことを考え、実行してくださった。石の水がめに入った水をぶどう酒に変えたのだ。
私たちの常識や経験で考えれば、「どうしてそのようなことが起こるのか」、「あり得ない」としか言いようのないことである。
神様の力がそこに働いて、奇跡が起こったと信じる以外にない出来事だ。

しかし、水がぶどう酒に変わるのは、私たち自身が変わることの象徴と考えてもよいだろう。
もし私たちが良いものに変えられるのだとすれば、自分にとって都合よく変えられるのではなく、私たちに与えられている恵みひとつひとつに心を留め、それを大切にできるように変えられていきたいと思う。

牧師 三浦 啓