「問い問われつつ」

降誕節第3主日礼拝

ヨハネによる福音書3章1-15節

ニコデモは、ファリサイ派に属する教師であり、ユダヤ人たちの議員であった。
ニコデモは、「ある夜」ひっそりとイエス様を訪ねて来たのです。そして、イエス様のことを「神のもとから来られた教師」であると認め、その言動に賛同の意を表したのである。

イエス様を称賛するニコデモに対し、イエス様は「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と迫った。
「あなたがたは、自分たちは神の国を見ることができる、神の国に入ることができると思っている。
しかし、今のままでは神の国を見ることはできない。新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないよ」とイエス様は言われているのだ。

神の国とは、私たちの力や行いに関係なく、神様が私たちを愛して、与えてくださる“恵みのプレゼント”なのだ。
その恵みに気づいて、本当の意味で謙遜の心を持ちなさい。謙遜を持ち、恵みに感謝して行う“愛の行い”こそ、神様に喜ばれる本物の行いなのだ。
イエス様はきっと、ニコデモにこのように言いたかったのだろう。

「あの夜」以来、ニコデモはイエスの言葉に引かれながらも、ファリサイ派の面子にこだわって素直にそれを受け入れられない、そういうとらわれた自分との戦い、また自分の愚かさとの葛藤を秘かに続けたことだろう。
つまり、彼の心の中には「問いつ問われつの対話」が続けられたということだ。
ニコデモはあの夜、イエス様の言葉に、「ユダヤに律法はあるんか」という問いかけを感じたのかも知れない。
私たちも、イエス様の言葉を受け取る中で、自分を見直しながら、「問い問われつつ」、歩みを進めていきましょう。

牧師 三浦 啓