「神様に愛されている」
降誕節第8主日礼拝

ヨハネによる福音書4章16-26節
今日の聖書箇所で、サマリアの女は「その水をください」とイエス様に求めた。
ところが、イエス様は、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言っておられる。すると、女は「わたしには夫はいません」と答えた。
イエス様は、この女性が抱えている現実に切り込む。「あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」と言うのだ。
ユダヤ人の律法には、夫が死んで後継ぎの男子がいない場合、未亡人となった女性を、その夫の兄弟がめとり、後継ぎをもうけなければならない、という掟がある。
しかし、5人すべてが死別とは考えにくい。死別もあったかも知れないが、ほとんどが離婚だったと思われる。
当時のユダヤには、妻からの離縁はない。夫が妻に離縁状を渡して離縁するという形式になっていた。
どのような事情があったのかはわからないが、何にせよ5人の夫と別れ、その経験から人間不信に陥り、愛が信じられなくなっていったのではないだろうか。
それでも、女は愛に渇いている状態だったのかもしれない。
自分の問題を言い当てたイエス様を「預言者」と認め、女は「どの場所で神様を礼拝するのが、まことの礼拝でしょうか」と尋ねた。
イエス様は、「まことの礼拝」をするには、場所が問題なのではない、と答えている。場所はどこでも良いのだ。大切なことは、神様をどのように礼拝するか、である。
神様を父と呼ぶのは、神様に親しみを感じ、神様に愛されていると信じているからこそ出て来る呼び方である。
イエス様によって、私たちも神様の愛に出会い、神様によって私たちに絶え間なく注がれている愛を感じて歩んでいきましょう。
牧師 三浦 啓


