「御言葉を糧にする」
降誕節第8主日礼拝

ヨハネによる福音書4章27-42節
今日の箇所は前回の続きの箇所である。なぜサマリアの女は、イエス様のことをメシア、救い主キリストと信じたのだろうか。
イエス様が彼女の行ったことを言い当てた時、イエス様は、「あなたは、ありのままを言ったわけだ」と言われた。
つまり、彼女はその時、自分の「ありのまま」を話すことができたのである。
そして、自分の「ありのまま」を受け入れられた喜びこそ、彼女の内に「もしかしたら、この方がメシアかも知れません」という期待を抱かせ、人々のもとに走らせた要因だったのだろう。
今の時代も、実は多くの人が「ありのまま」を語り合う場、さらけ出す場を求めているのかもしれない。
そういう意味では、イエス様が言われるように、「目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている」のだろう。
人の心は、色づいて刈り入れを待っている畑のようなものだ。自分の「ありのまま」を聞いてくれる人、受け入れてくれる人を待っているのだ。
サマリアの女から、「もしかしたら、この方がメシアかもしれません」と伝えられ、シカルの町の人々は「イエスを信じた」とある。
しかし、町の人々は「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。
わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからである」と言っている。
私たちも聖書を自分で読み、黙想し、御言葉を通して、イエス様が自分に何を語りかけているのか、何を求めているのかを探し当てて、自分の内に納めるようになれれば、きっとその人の信仰はより広がりや奥行き、深さが出てくるだろう。
そのように御言葉を糧に信仰を養う者でありたい。
牧師 三浦 啓


