「御言葉に生かされ」

受難節第1主日礼拝

マタイによる福音書4章1-11節

今日から受難節である。
レントは、イエス・キリストが十字架へと至る苦悩を、そして十字架に架けられた苦しみを心に刻みながら過ごす。それが、“受難節”と呼ばれる理由だ。
このレントの時、イエス様は“私たち”の罪ために犠牲となり、“私たち”の代わりに罪を償い、神の赦しを獲得してくださった。
私たちは自分の罪を思い、悔い改め、赦されている恵みの意味を深めていきたい。

今日の聖書箇所はイエス様が悪魔から誘惑を受ける場面である。
なぜイエス様は自ら悪霊の誘惑を受けに行かれたのか。
悪魔の誘惑は「荒れ野」で起こる。私たちの心が、疲れによって、悩みによって、苦しみ悲しみによって乾き、荒れている時に起こるのだ。
イエス様は伝道を始める前に悪霊と対峙し、聖書の御言葉によって戦い、自分の支えとするための修行を行っているようにも見える。

悪霊は空腹を覚えるイエス様に、「石をパンにしてみろ」と言う。
しかし、イエス様は「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と返している。
イエス様は、聖書の言葉、神様の言葉によって主なる神様を信頼し、誘惑に打ち勝っているのだ。御言葉には、私たちを生かす力がある。

1つだけ注意したいのは、第2の誘惑で、悪魔も御言葉によって私たちを誘惑しようとしている点だ。
御言葉は、私たちが自己弁護や自己正当化のために読むと、その解釈が私たちを神様から引き離すものとなる。それでは悪魔の思うつぼだ。
その点だけを気をつけて、私たちは、「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」ことを思い、“信じていこう”との思いを、日々新たにしていきましょう。

牧師 三浦 啓