「背中を押す眼差し」

受難節第4主日礼拝

マルコによる福音書14章66-72節

イエス様が捕まってしまう前の晩、いわゆる最後の晩餐の席上で、ペトロは「たとえ御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と宣言した。
その時は心が熱く燃えてそう言ったものの、じっさい命の危機が迫ってしまうと言葉どおりの行動は出来ず、イエス様を三度も裏切ってしまったのである。

ペトロがイエス様を三度裏切った時、鶏が鳴いた。
イエス様が最後の晩餐の夜に「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」言われた事が思い出された。
ペトロはいてもたってもいられなくなり、泣き出した、と聖書には記されている。
自分の出来なさ、弱さ、ダメさ……そんな感情に押しつぶされるような気持ちだったのだろう。

この同じ物語は、ルカによる福音書の22章にも描かれている。
そこでは61節にこうあります。「主は振り向いてペトロを見つめられた」と。
そのイエス様の眼差しは、どのようなものだったのだろうか。自分に従い尽くせないペトロを厳しく𠮟りつけるような目だったろうか。
そうではなく、この切羽詰まった状況の中でも、イエス様の眼差しは、優しく愛に満ちたものだっただろう。

私たちはこのペトロの弱さを責めることはできない。私たちもペトロと同じような弱さを抱えているからだ。
しかし、その弱さに対し、イエス様は私たち一人一人を責めるような眼差しを向けることはしない。私たちの背中をそっと押すような眼差しを向けてくださるはずだ。
そのようにイエス様に見つめられた私たちは、イエス様に従い、イエス様の教えを実践する歩みを進めていきましょう。

牧師 三浦 啓