「だから、愛する」

復活節第6主日礼拝

ヨハネによる福音書5章9b-18節

38年間も病を患い、ベトザタの池のほとりでうずくまっていた人が、イエス様から、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」、このように言葉をかけられ、起き上がり、歩き始めた。
彼は街中を床を担いで歩きながら自分の家を目指していたのかもしれない。
ところが、その様子が「ユダヤ人」の目に留まった。その日は「安息日」であった。ユダヤ人に咎められて、彼は初めて、その日が安息日であることにハッと気づいたのかも知れない。
しかし、そこで彼は自分を守ろうという本能が働き、救ってくださったイエス様に責任転嫁してしまった。

その後、彼は神殿の境内で再びイエス様に出会う。
彼は、自分を癒してくださったのがイエス様だと知った。この時は、彼がイエス様と、人格的に、信仰的に関係を持つチャンスだった。
だれに癒されたかも分からないような名もなき癒しが、イエス様への感謝と信仰に変わるチャンスだったのだ。

イエス様は、安息日違反だと言って、ご自分を迫害するユダヤ人たちに言われた。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」と。

ユダヤ人たちは、神様は天地創造において六日間働き、七日目には休んだと信じ律法を厳守している。
しかし、イエス様は、神様は天地創造を成し遂げた後から継続して、今もなお働いておられると言っておられる。
イエス様がユダヤ人に語った言葉は、「わたしの父は今もなお愛しておられる。だから、わたしも愛するのだ」と言い換えてもよい。
わたしの子「だから」こよなく愛する、という母の愛がある。同じく、私たちも惜しみなく愛する生き方を大切にしていきましょう。

牧師 三浦 啓