「恵みを探して」

聖霊降臨節第7主日礼拝

ヨハネによる福音書6章22-33節

今日の聖書箇所を読み、「しるし」と「パンを食べて満腹」することは同じことではないのかと感じた。
「しるし」というのは、「奇跡」や「不思議な業」と同じ意味だと、聖書巻末の用語解説に記されている。神様の力が働き、その場を神様が愛で満たしておられる恵みを示している、それが「しるし」である。

しかし、イエス様が行った出来事は、群衆にとって奇跡ではあっても、「しるし」にはならなかったようだ。
群衆は「イエスを捜し求めて」、湖のこちら側、カファルナウムまで来たとあるが、彼らは満腹を探し求めていた。それは、信仰生活ではないのである。
そのような群衆に、イエス様はズバリと、「あなたがたがわたしを求めているのは‥‥満腹したからだ」と指摘し、続けて「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である」と言われた。

それを聞いた群衆は、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と問い返した。イエス様から「働きなさい」と言われたことで、何か“行い”が必要だと思ったのだろう。
しかし、必要なのは“行い”ではなく、“信仰”なのだ。 イエス様を「命のパン」と信じるということは、イエス様の御言葉を通して、神様がありのままの自分を大切にしてくださっている恵みを信じることだ。
たとえ不都合な環境や愛が感じられないような時でも、神様が愛してくださっている。そう信じて、恵みを見つけるのだ。
私たちの毎日は何気ない一日一日の連続だ。その何気ない日常の中で私たちもしっかり心の中のセンサーを張って、神様の愛や恵みを感じ、受け取っていきましょう。

牧師 三浦 啓