「条件度外視の愛」

聖霊降臨節第13主日礼拝

ヨハネによる福音書13章34節

皆さんはキリスト教保育の良さとはどのようなものだと考えるだろうか。
もしかすると、「優しい保育」、「丁寧な保育」、「子どもたち一人一人を大切にする保育」と考える人もいるかもしれない。
しかし、それはキリスト教の園でなくても、保育現場では大切にされている。
つまり、優しい保育や丁寧な保育だけではキリスト教保育の特徴になり得ないということだ。

私は中学校や高校の聖書の授業や保育士向けの研修会で保育士の皆さんにキリスト教について伝える働きを担っている。
その中で感じたのは、キリスト教や聖書の内容について、“知識”として伝えるだけでは不十分だということだ。
つまり、キリスト教や聖書について知識として伝えるだけでは、その良さは伝わらないのである。
自分とその知識に距離があると、「私には関係ない」という評価になってしまう。
私は必ず、学生や保育士に話をする時に聞き手に関係のあるテーマを選び、聞き手にわかりやすい実例を挙げて話をするようにしている。
そうすることで聞き手の反応が変わったからだ。聖書の言葉が、“自分には関係のないもの”から“自分にとって意味のあるもの”に変わるのである。

私はキリスト教保育を実践するためには、今日の聖書箇所、ヨハネによる福音書13章34節の御言葉が必要不可欠だと思っている。
私たちはイエス様にとことん愛されている。それは、私たちがすごく立派な人間だからではない。
私たちは何度も失敗もするし、間違うことの多い弱い存在だ。
しかし、イエス様の愛は無条件である。同じくキリスト教保育が担うのは、条件度外視の愛に基づく保育だ。
保育だけではなく、教会でもこの条件度外視の愛を実践していきましょう。

牧師 三浦 啓