「もう一つの人生の歩み」

聖霊降臨節第24主日礼拝

創世記5章21-31節

人によって、どういう人生を生きるかは、人それぞれですが、産まれること、生きること、死ぬことのうちで、最もその人の個性がよく表れるのは「生きる」ということだろう。
だだ、今日の聖書に記されている系図の中で、肝心の「生きるとはどういうことか」ということについて、具体的なことは一切記されていない。
しかし、私たちにあるヒントを教えてくれている箇所があります。
その一つが、28節に登場するレメクである。レメクは我が子に「ノア」(慰め)と名付けた。
レメク自身が、我が子によって慰められたいと願っていたのだろう。私たちが苦労しなければいけないことは、神様の裁きによるものだ。
アダムとエバが神様との約束を破ったことによる裁きである。

しかし、聖書というのは人生の儚さや虚しさだけを伝えたいわけではない。
もう一人、注目すべき人物が存在する。それが21節に登場する「エノク」だ。
エノクについて語るこの箇所を読んでいて分かることは、他の人に必ず記されている「死んだ」という言葉が一切記されていないことである。
エノクの所だけ「神が取られた」と記されているが、神様がエノクを受け入れられたということだろう。

私たち人間は、系図が繰り返し語るように、産まれて、生きて、死んで行くだけの存在だ。
しかし、聖書はそれだけではないことを教えてくれる。
ただ死んで塵に返って行くだけの命ではなく、神様が共に歩んでくださったこと、そしてその神様に生かされ、たくさんの出会いが与えられ、天国へと地上で自分を見送る人がいて、天国で歓迎してくれる人たちがいることの恵みを味わう人生がある。
その恵みを覚えつつ歩みを進めていきましょう。

牧師 三浦 啓