「畏れて生きる」
復活節第7主日礼拝

ペトロの手紙一 1章17-21節
今日の聖書箇所の17節に、「‥その方を畏れて生活しなさい」とある。私たちは、日常生活において“畏れる”という言葉を、ほとんど使うことがない。
そこで、この言葉を辞書で調べてみると、“尊敬の思いが生じて、慎んだ態度になること”とあった。
なので、神様を信じるということは、神様に対して尊敬の思いを持ち、慎んだ態度を取るということなのである。
私たちが信じている神、畏れるべき神は、「人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方」であると言われている。
私たちが天国と地獄とにより分けられる時、自分が地上で持っていた権力も名誉も地位も、また「金や銀」といった財産も、その裁きには何も利かないという。
神様を「人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方」と信じるならば、自分の行いはどうか?と考えて、それを裁く神様に対して、いわゆる“恐れ”の気持ちが生じるだろう。
しかし、今日の聖書の御言葉が私たちに語りかけていることは、それだけではない。
公平に裁かれる神を、「あなたがたは‥‥『父』と呼びかけている」。なので、「その方を畏れて生活しなさい」と言われている。
イエス様が神様に向かって“アッバ”と呼びかけていたアラム語は、“お父ちゃん”といったニュアンスで、小さい子どもが、信頼と親しみを込めて呼びかけるような言葉である。
その父である神様が、ご自分の一人息子の命を献げてまで、私たちの救いを考え、実現してくださったのでだ。
イエス・キリストの代わりに、私たち一人ひとりを“我が子”としてくださったのだ。
だから、父としての神の愛を信じて、安心して生活する。それが“神を畏れて生きる”ということだろう。
神様を信じて、畏れを持つ信仰生活を続けていきましょう。
牧師 三浦 啓


