「残りの生涯の歩み方」高齢者を覚える礼拝
聖霊降臨節第16主日礼拝
讃美歌 521「とらえたまえ、われらを」

ペトロの手紙一 4章1-6節
今日は高齢者を覚える礼拝を皆さんと守りたいと思う。
今日の聖書箇所の2節に「肉における残りの生涯」という言葉が出て来た。簡単に言えば、地上で、この肉体、この命において生きる残りの生涯のことである。
私たちは、何かの折、何かの節目等に、自分の残りの生涯を意識するでしょう。ペトロの手紙が「肉における残りの生涯」と言うとき、どのような節目を意識しているかと言えば、それはキリスト教の洗礼だということがいえる。
ペトロの手紙は、洗礼を受けた者に、その残りの生涯において何を期待しているだろうか。
2節に「それは、もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるようになるためです」とある。
今までは「人間の欲望」、自分の欲望に従って生きて来た人間がいるとして、これからは「神の御心」に従って「残りの生涯を生きる」ことが期待されている。
いや、私たち自身が、その志をもって洗礼を受け、残りの生涯を、神様の御心に従って生きる新しい生き方をしようとするのである。
新しい生き方とは、神様の愛に気づき、受け入れ、神様の御心に従う生き方を歩み始めること言う。
愛に生きる生き方を、私たちも残りの生涯において送りたい。それは愛の心構えで生きるということである。
1節に「武装」という表現が出てきた。「武装」とはあまり快くない言葉だが、ペトロは“愛の武装”をすることを考えていたのだろう。
「肉における残りの生涯」をどのように生きるのか、私たちは問われている。
高齢者であれ、まだ若い人であれ、神様のお守りの中で残りの生涯が愛に根差したもの、キリスト教の信仰に土台を据えたものになればと願う。
牧師 三浦 啓


