「不確かな中での聖餐式」世界聖餐日礼拝
聖霊降臨節第18主日礼拝
讃美歌 79「みまえにわれらつどい」
聖餐式
讃美歌 78「わが主よ、ここに集い」

ローマの信徒への手紙 1章33-36節
今日は世界聖餐日である。もともと、皆で食事をすることが聖餐式の形であった。
しかし、次第に聖餐式として食事を行うことに混乱が生じたため、パウロが形を整え、儀式化したのである。
同志社神学部の時に、世界の教会の聖餐式について学んだことがある。
私たちにとって聖餐式はパンとぶどうジュース、またはワインを用いるのが一般的だが、ミクロネシアの教会の聖餐式では、タロイモとファンタグレープの聖餐式が行われているらしい。
その場所ではそれしか手に入らないので、タロイモとファンタグレープでの聖餐式に誰も疑問を持っていないという。
中身を超えて、共に礼拝を守る方々とそれを共に食べ、飲むことの喜びに満たされることはとても大切である。
「このような形でなければ聖餐式ではない」、「このような形以外は間違っている」という周りを断罪するような信仰にならないように気を付けなければならない。
キリスト教信仰の原点は、救い主イエスの十字架と復活にある。「十字架」とは、客観的に言うなら「敗北」だ。
当時の権力者たちから不条理な死を与えられ、抗うこともできず、無残に死ぬほかなかった、言わば敗北であった。
また、「復活」は逆に客観的に合理的に語ることはできない出来事である。冷静に言うなら、非科学的というしかない出来事だ。
そのような原点を、嘘偽りと主張する人たちを超えて、キリスト者は信じ受け入れた。そしてそのイエス様を記念するための聖餐式が生まれたのである。
今日は、パンとぶどうジュースを用いずに、心の中で味わう聖餐式を守る。
その中で、世界中に共に聖餐に与る仲間がいること、不確かなものにあふれる今の世で聖餐に与ることの意味を心から味わってほしい。
牧師 三浦 啓


