「イクスースを行動で」
聖霊降臨節第19主日礼拝
讃美歌518「主にありてぞ」

ペトロの手紙一 4章12-19節
ギリシア語で“魚”のことを“イクスース”と言う。そして、イクスースという5文字をうろこのように内側に刻んだ魚のマークは当時、キリスト者の暗号のように使われていた。
ほかの誰にも気づかれないようにお互いを認識するための暗号である。
ちなみに、“イエス・キリスト・神の・子・救い主”という5つの言葉の頭文字を並べると、イクスースという言葉になる。当時のキリスト者たちは、自分たちの信仰告白の頭文字を暗号に用いたのだ。
なぜそのようなことをしたのかというと、12節に記されている「火のような試練」の時代だったからである。
当時、キリスト教はローマ帝国にも広がったが、間違った信仰として200年以上迫害が続いた。
迫害の理由として、皇帝崇拝と合い入れない信仰だったこと、平等を謳う信仰が貴族階級に煙たがられたことなどが挙げられる。
ペトロは、そのような試練、迫害は想定内だ、だから驚き怪しむな、と言っている。ある意味で、信仰には苦しみが付き物ということだ。
イエス様の歩みがまさに試練の連続であった。そのことから、キリスト者であるがゆえの苦しみもあることをペトロは伝えようとしている。
なので、キリスト者故の苦しみを恥とせず、キリスト者故の苦しみを味わうなら、その人がキリストの従う道を歩んでいる確かなしるしだと受け取るべきだと言っているのである。
私たちは教会以外の日常でも堂々とキリスト者であることを表明しているだろうか。迫害の時代ではないが、人の目を気にして信仰を隠すようなことはしていないだろうか。
イクスースのマークのように、私たちはどのような状況であっても、言葉と行動で自分の信仰を堂々と表し、証できる歩みを進めていきましょう。
牧師 三浦 啓


