「深く掘り下げる信仰」

降誕節第6主日礼拝

讃美歌513「主は命を」

ヨハネによる福音書4章1-15節

今日の聖書箇所は“求道”について記されている。この求道のキーワードは、「水を飲ませてください」という願いだ。
イエス様に、「水を飲ませてください」と願う、救いを願う思いから求道生活は始まる。

最初に「水を飲ませてください」と頼んだのは、イエス様の方であった。旅に疲れ、のどの渇きを覚えたイエス様が、井戸に水を汲みに来た女に、「水を飲ませてください」と頼んだのである。
この後、女とイエス様の会話はかみ合わないまま進んで行く。生きた水」についての理解が、イエス様と女では全く違っているのだ。
イエス様が語っている水は、14節にあるような「その人の内で泉となる」ような水であり、つまり、その人の魂を潤し、心の渇きをいやすものだ。人の内側に、慰めと励まし、希望と安心を湧き上がらせるような“何か”である。
しかし、女が考えている水は、飲む水であり、のどの渇きをいやす水であり、普通の水のことである。

しかし、一つ、大きな、決定的な変化がある。それは、女の方が「その水をください」と、求めるようになったということだ。
聖書を通して、イエス様の言葉を聞き始めた当初は、何だかよく分からない、ピンッと来ない、納得できないという内容が多いのではないだろうか。
しかし、サマリアの女とイエス様の対話を読みながら「それでいいのだ」と思った。自分の考えや価値観を持って生きて来た私たちが、そんなに簡単に、イエス様が語られる神様の御心とピタリと一致するわけがない。

イエス様の言葉を黙想し、受け取るという意味では、洗礼を受けてからも“求道”の歩みは生涯続く。
求道の歩みを生涯続けながら、清く深い神様の恵みを求める歩みを進めていきましょう。

牧師 三浦 啓