「愛の国」

受難節第2主日礼拝

マタイによる福音書12章22-32節

今日の聖書箇所に「悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人」が登場する。聖書の時代、悪霊は人を障がいや病気にすると考えられていた。
また、悪霊とは対極にあるもの、悪霊を追い払うものとして、「神の霊」の働きが語られている。
イエス様は、悪霊に取りつかれ、目が見えず口の利けない人を癒した。癒すということは、その人に取りついている悪霊を追い出す、ということだ。

癒しの業を見た群衆は、「この人はダビデの子ではないだろうか」と驚いた。ダビデのような者が再びイスラエルに現れてほしいと、人々は待望していた。
群衆はイエス様を、救い主ではないかと思ったのだろう。

しかし、ファリサイ派の人々はイエス様が悪霊を追い出せるのは、「悪霊の頭ベルゼブルの力」だと悪口を言った。
ベルゼブルとは、悪霊の中でも力があり、悪霊を束ねるリーダーのような強力な悪霊であった。

その悪口に対して、イエス様は二つの反論をなさった。
一つは、国でも町でも家でも、内輪で争えば立ち行かなくなる。同じように悪霊が悪霊を人から追い出すようなことをすれば、彼らの人間支配も立ち行かなくなる、ということ。
もう一つは、彼らファリサイ派の中にも悪霊を祓い、癒しの業を行う者がいた。イエス様の癒しをベルゼブルの力だと言うなら、彼らの仲間の癒しもベルゼブルの力だということになる。

私たちは、聖書の御言葉によって、神様の霊の働きを信じる者でありたい。神様の霊を信じる人のところには、「神の国」が来ているのだ。
神の国とは、神様に愛情を注がれる場所であり、愛の国なのだ。神様やイエス様、隣人と愛の国を築いていきましょう。

牧師 三浦 啓