「十字架を背負って」

受難節第3主日礼拝

マタイによる福音書16章21-28節

今日の聖書箇所で、サタンはペトロを通して、イエス様を神様から引き離そうとしている。
ペトロだけではない。ペトロがサタンになるということは、他の弟子たちもサタンになり得るということだ。そして、現代の弟子である私たちもまたサタンになり得る。

なぜペトロは、「サタン、引き下がれ」と叱られているのだろうか。それは、ペトロがイエス様の邪魔をしたからだ。
23節にあるように「神のことを思わず、人間のことを思っている」からである。ペトロは「イエスを脇へお連れして、いさめ始めた」とある。

ペトロや弟子たちに限らず、当時のユダヤ人は、救世主メシアが現れることを待ち望んでいた。
そして、イエス様こそメシアであると期待し、ローマ帝国を打ち破り、ユダヤ人の独立国家・神の国イスラエルを復興することを期待していたのだ。
それが、イエス様は御自身の死について語り始めたので、それを「とんでもないこと」と表現していさめたのだ。

24節で「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と語りかけた。
イエス様は、ご自分の十字架を負われた。“神は愛”を生きて、人を愛するために、自分の命を捨てるという犠牲を負われた。

私たちにとって、自分を捨てて背負う「自分の十字架」とは何だろうか。
「自分の十字架」とは、自分がだれかを愛する時に背負う重荷であり、痛みであり、リスクであり、犠牲のことだろう。
愛の秘訣は、“小さな死”である。私たちも、キリストの十字架を通して神様に愛されていることを思い、“小さな死”という「自分の十字架」を背負って、神様の愛を生きていきましょう。

牧師 三浦 啓