「隣人ファースト」
受難節第5主日礼拝

マタイによる福音書20章20-28節
十字架に架けられて殺される。その覚悟を持ってエルサレムに上って行く途中、イエス様は弟子たちに、次のように教えられた。
「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」。
イエス様に従う弟子の道とは「皆に仕える者」「皆の僕」になるような生き方であり、それは言わば “隣人ファースト” になるということだ。
イエス様が最も重要な聖書の教えとして語られた「隣人を自分のように愛しなさい」という姿勢である。
隣人のことを第一に考えて生きる、隣人ファースト。それが、イエス様が弟子たちに求めた生き方であり、この御言葉を聞いている私たち “現代の弟子” にも求められていることだ。
しかし、弟子たちは、イエス様に従う生き方を、弟子の道を誤解していた。
イエス様に従っていけば、民を支配する「支配者」になれる、権力を振るう「偉い人」になれる。そのように期待していたのだ。
隣人ファーストの姿勢、すなわち愛の心で生きる。イエス様にとって、その生き方の行き着く先は十字架刑であった。隣人を愛するために死ぬのである。
イエス様は、十字架刑の意味を「身代金」という言葉で表した。身代金とは、捕らえられている人を取り戻すために、身代わりとして支払うお金のことである。
一体だれが、だれに捕らえられているのか。それは、私たち一人一人が罪に捕らえられているのだ。
ご自分の命を、人の罪への身代金として献げる。神様の愛を表わすために献げる。
それが、イエス様の十字架の意味であり、究極の“隣人ファースト”だ。私たちも隣人ファーストの姿勢で生きていきましょう。
牧師 三浦 啓


