「苦難に縛られないために」

復活節第5主日礼拝

ヨハネによる福音書5章1-9a節

今日の聖書箇所を注意して読むと、4節がなく、代わりに小さな十字架のマークがあることに気付く。
このマークは、“そこに4節があった”ということを表わしている。4節を書き加えた方が読む人が分かりやすいと考え、写本した人が説明のような文章を加えている。

ベトザタの池は、池を囲むように4つの回廊があり、その真ん中にもう一つ、つまり漢字の“日”のような形で5つの回廊があった。
そこに「病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた」という。
ベトザタとは“憐れみの家”という意味だが、憐れみの家どころか、“見捨てられた家”のような、悲惨な場所だっただろうと想像される。
だれも寄りつこうとしないその場所に、イエス様はおいでになったのだ。

そこに「三十八年も病気で苦しんでいる人」がいた。
38年間、病を抱え、この池のそばに横たわる毎日を過ごしながら、彼は無意識のうちに、自分の人生の最大の問題に気づいていたのだろう。
それは病ではない。もちろん治るものなら治りたかっただろう。
しかし、病気が治ること以上に、病気の自分を運んでくれる人がいないという現実、つまり病気を抱えている自分に本気で関わってくれる人がいない、寄り添って生きてくれる人、愛してくれる人がいない、という現実こそ、彼にとっては、つらくさびしい最大の問題だったのだ。

イエス様は、38年間病気で横たわっていたこの人のもとに来られ、その苦悩の声を聞き、彼に寄り添おうとされた。
そのように神様が、イエス様が私たちに寄り添い、最善の方向へ導いてくださることを信じ、前の前の苦難に縛られず、希望を見い出す歩みを進めていきましょう。

牧師 三浦 啓