「わたしはある」
聖霊降臨節第20主日礼拝

ヨハネによる福音書8章21-30節
今日の聖書箇所に「わたしはある」という表現が2回出て来た。
「わたしはある」というこの言葉は、出エジプト記3章で、モーセが「あなたはどなたですか」と尋ねた時、神様が、「わたしはある」と自己紹介された言葉である。
「わたしはある」という日本語訳は、新約聖書原典のギリシア語の“エゴー・エイミー”という言葉が訳されたものだ。
これは英語で言うと“I am”という言葉である。普通はI am a teacher.というふうに、I am の後に何か言葉が入る。
しかし、神様は敢えてご自分をそのように自己紹介された。
わたしはある。わたしは確かに存在する。わたしは存在の神だ。命そのものの神だ。
そのような、強い主張が込められている。
I am の“am”はbe動詞である。それに対して、人が行動する場合の動詞はdo を用いる。
そして、言うなれば、命のあり方には二つあって、それはbeとしてのあり方と、doとしてのあり方だ。
beingとdoing、“存在”としての命と“行動”としての命である。
神様がどちらの命のあり方に重きを置いているかと言えば、それは存在としての命だろう。
ご自分を I am と自己紹介される神様は、私たち人間の命のあり方も、I am としてのあり方、つまりbe動詞のあり方、beingとしての命だと言われている。
別の言い方をするならば、私たちの命は、行動すること以上に、存在することに大きな意味があるのだと、神様はその名前によって語りかけておられるのではないだろうか。
これをする(do)から価値がある。これができなければダメ、ということではない。
「わたしはある」と言われるイエス様と、共にいると言われるイエス様を信じて、一歩一歩進んでいきましょう。
牧師 三浦 啓


